2009年02月18日

村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ全文

media debuggerさんのブログから(素晴らしい翻訳ありがとうございます!)
http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090218/1234917019

このスピーチの翻訳を読んで胸が熱くなりました。
このように大切な事柄をストレートに語ってくれたことをうれしく思います。

「僕たちは誰もが確かに感じることのできる生きた魂を持っています。システムにはそんなものはありません」
映画『マトリックス』を思い起こしましました。

村上春樹さん、さすが作家ですね。表現のムツカシイ世界の闇の存在を、とても分かりやすく、しかも力強く表現してくださいました。ありがとうございます。


村上春樹:「僕はいつでも卵の側に立つ」

 今日、僕は小説家としてエルサレムに来ました。小説家は、いわば職業として嘘をつむぐ者です。

 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。僕らがよく知っているように、政治家も嘘をつきます。外交官や軍人も、ときには、かれららしい嘘をつきます。中古車の販売員が中古車の販売員的な嘘をつき、肉屋が肉屋的な嘘をつき、建設業者が建設業者的な嘘をつくことがあるように。けれども、小説化の嘘は、嘘をついたからといって誰かに不道徳だと非難されることがないという点で、他の人たちの嘘とは異なっています。それどころか、小説家の嘘は、それが壮大で優れたものであればあるほど、そして、小説家がそうした嘘をより独創的に生み出すほど、読者や批評家から賞賛されるようになります。これはいったいどういうわけでしょう?

 僕の答えを言うなら、それはこういうものです。すなわち、巧みな嘘をつくことによって―つまり真実のように見えるフィクションを作り出すことによって―小説家は真実を新しい場所に運び出し、真実に新しい光を当てることができるのです。たいていの場合は、真実を本来の形のまま理解したり、それを正確に描写したりすることは、実質的に不可能です。こういうわけで、小説家は、真実をその隠れ家から誘い出し、虚構の場所に移し、虚構の形に作り変えることによって、真実の尻尾をつかみ取ろうとします。けれども、これを成しとげるためには、小説家はまず私たちの内にある真実の居場所を突き止めなければなりません。これは、よい嘘を生み出すための重要な条件です。けれども、今日は、僕も嘘をつくつもりはありません。できるだけ正直になろうと思います。僕が嘘をつかずにいる日は一年のうち数日しかありませんが、今日はちょうどそのうちの一日なのです。

 そういうわけで、みなさんに対して真実を語ることを許してください。実に多くの人たちが、エルサレム賞を受賞するために僕がここに来るのを引きとめようとしました。僕がエルサレムに行けば僕の作品のボイコット運動を始めると警告した人たちさえいました。

 その理由は、もちろん、ガザで行なわれていた熾烈な戦いにありました。国連の報道によれば、封鎖されたガザ・シティでは千人以上の人々が命を失いました。その多くは非武装の市民―子どもや老人たち―でした。

 エルサレム賞についての警告を受け取るたびに、僕は、こんなときにイスラエルに出かけていって文学賞を受け取ってよいものだろうか、そんなことをしたら僕が紛争の一方の当事者を支持している、つまり、その圧倒的な軍事力を行使することを選んだ国家の政策を支持している、という印象を与えてしまうのではないか、と悩みました。もちろん、そんな印象を持たれるのはごめんでした。僕はどんな戦争にも賛成しないし、どんな国家だって支持しません。そして、もちろん、僕の作品がボイコットされるのを見るのもごめんです。

 でも、結局、熟慮を重ねた上で、ここに来ることに決めました。その理由のひとつは、あまりにも多くの人たちがここに来ない方がよいと忠告したからです。おそらく、他の多くの小説家がそうであるように、言われたことと逆のことをしてしまう傾向が僕にはあります。「そこに行くな」「それをするな」と言われる―特に警告される―と、僕は「そこへ行」き「それをし」たくなってしまうのです。これは僕の性分ですが、小説家としての性分でもあるかもしれません。小説家は変わり者ですからね。小説家は、自分の目で見たり自分の手で触ったものでなければ、何も心から信じることはできないのです。

 僕は政治的なメッセージを伝えるためにここにいるわけではありません。もちろん、何が正しくて何が間違っているかを判断することは、小説家のもっとも大切な仕事でもありますが。

 けれども、そうした判断をどのように伝えていくかということは、それぞれの小説家に委ねられています。僕自身はそれを物語―超現実的な物語―に書き換えることを好みます。そういうわけで、直截的な政治的メッセージを伝えるために、僕は今日みなさんの前に立っているわけではないのです。

 どうか、極めて個人的なひとつのメッセージをお伝えすることを許してほしいと思います。それは、僕が小説を書くときにいつも頭の中に置いていることです。僕はそれを紙に書いたことはないし、壁に貼ったこともありません。そうではなく、それは僕の心の壁に彫ってあることで、それはこういうものです。

 「高く固い壁と、壁に向かって体当たりをして割れてしまう卵があるなら、僕はいつでも卵の側に立つ」

 そう、たとえ、壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っているとしても、僕は卵の側に立つでしょう。何が正しくて何が間違っているかは、誰か別の人が決めるべきでしょうから。たぶん時間や歴史が。それがたとえどんな理由であったとしても、壁の側に立つ作品を作る小説家がいるとすれば、そんな作品にどんな価値があるというのでしょうか?

 この喩えは何を意味しているのでしょうか?いくつかの場合では、それは極めて単純で明快です。自爆犯と戦車とロケット弾と白燐弾が、高く固い壁です。卵は、それらに押しつぶされ、焼き尽くされ、撃たれてしまう非武装市民です。これが喩えのひとつの解釈です。

 けれども、これが解釈のすべてではありません。そこにより深い意味を見ることもできます。こんなふうに考えてみてください。僕たちは誰もが―多かれ少なかれ―卵なのです。僕たちは誰もが壊れやすい殻に包まれた、特別でかけがえのない魂です。これは僕にとっても当てはまりますし、みなさん一人ひとりにとっても同じことが言えます。そして、僕たちの誰もが―程度の差はあっても―高くて固い壁に向き合っています。壁には名前があります。それはシステムです。システムは僕たちを守ってくれるものだと思われていますが、ときにはそれが一人歩きして、僕たちを殺したり、僕たちが―冷酷に、効率的に、組織的に―人殺しをするように仕向け始めます。

 僕が小説を書く理由はたった一つだけで、それは個人の魂の尊厳を引き出して、それに光を当てることです。物語の意図は、システムが僕たちの魂をその触手で絡め取り、僕たちの魂を貶めるのを防ぐために、警鐘を鳴らし、システムを監視し続けることです。僕は、物語―生と死の物語、愛の物語、人々が泣いたり、恐怖に震えたり、笑いをかかえたりする物語―を書くことで、個々人の魂のかけがえのなさを讃えようとし続けることが、小説家の仕事であると心から信じています。これが、小説家が来る日も来る日も大真面目に小説をでっち上げている理由です。

 僕の父親は去年90歳で亡くなりました。父は教師を引退してパートタイムのお坊さんをやっていました。大学院にいたとき、父は徴兵されて中国の戦場に送り込まれました。戦後に生まれた子どもである僕は、父が、毎朝食事をする前に、家の仏壇の前で長く敬虔な祈りを捧げているのを眺めていたものでした。一度、僕は父にどうしてそんなことをするのか尋ねたことがありますが、父は戦争で亡くなった人たちのために祈っているのだと答えました。

 父は、亡くなったすべての人のために―味方のためにも敵のためにも―祈っていると言いました。仏壇の前にひざまずく父の背中をじっと見ていると、僕は父の回りをさまよっている死の影を感じるような気がしました。

 父は亡くなり、父の記憶―僕が決して知ることのない記憶―も失われてしまいました。けれども、父の回りに潜んでいた死の存在というものは、僕自身の記憶の中に残っています。それは、僕が父から受け継いだ数少ないものの一つですが、もっとも大切なことの一つでもあります。

 今日、僕がみなさんにお伝えできればよいと思うことが一つだけあります。僕たちはみんな人間です。国籍や民族、宗教にかかわらず、誰もがシステムと呼ばれる固い壁に向き合う壊れやすい卵です。どう見ても僕たちには勝ち目はないように見えます。壁はあまりにも高く、あまりにも強く、そしてあまりにも冷酷です。もしも僕たちに何かしらの勝利の希望があるとすれば、それは、僕たち自身の、そして他者の魂の絶対的な特別さとかけがえのなさを信じることと、僕たちの魂を合わせることによって得られる温かさを拠り所にする以外にないでしょう。

 どうかこのことを考えてみてください。僕たちは誰もが確かに感じることのできる生きた魂を持っています。システムにはそんなものはありません。システムが僕たちを利用することを許すべきではありません。システムが一人歩きすることを許すべきではありません。システムが僕たちを作ったのではありません。僕たちがシステムを作ったのです。

僕がみなさんに言わなければいけないことはそれだけです。

 僕はエルサレム賞を受賞できたことを感謝しています。僕の作品が世界の多くの場所で読まれていることに感謝します。今日、みなさんにお話をする機会が与えられたことにも、感謝します。
posted by フジワラトシカズ at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年09月11日

着々と闇の中すすむ日本の死刑執行


保坂展人のどこどこ日記から
「保岡法務大臣の死刑執行に抗議する 」
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/607807a24eb3fb1e6d523f8b5b8b5cf8

 来年から始まる「裁判員制度」では、「国民からくじで選ばれる裁判員が短期間に判断を迫られる」ことになる。そして、選ばれた人には、生涯その事柄を人に話してはいけない守秘義務が課される。

 死刑が、犯罪の抑止力にならないことはすでに世界共通の認識である。

 「国連総会で死刑執行停止決議が昨年12月採択された」ということ。

 日本の司法制度の不備による「冤罪」の可能性。

あらためて、「死刑」について考え直す時が来ていると思います。

ベルトコンベアーのように死刑執行をはじめた鳩山前大臣と保岡法務大臣。
「死刑大国」の道を歩む日本。

この流れは、まず止めるべきです。
posted by フジワラトシカズ at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年09月09日

作られる敵対 イスラエルvs.アラブもか!?

イスラエルの戦争と和平
2008年9月9日   田中 宇
http://tanakanews.com/080909israel.htm

[抜粋]
 イスラエルは1948年、イギリスの植民地(国際連盟の信託統治領)だったパレスチナの西側4分の1の地域で建国した。中東全域を支配していた英は、中東の各勢力をできるだけ分割し、相互に敵対状態を永続させることで、外部から支配している英が漁夫の利を得て仲裁役に立てる均衡戦略(バランス・オブ・パワー)を採っていた。

 その一環として、英はユダヤ人国家の領土が大きくなりすぎないよう、パレスチナの東半分(ヨルダン川東岸)でアラブ人の国王(ハーシム家)に建国を許し、トランスヨルダン(今のヨルダン)を作った。さらに、トランスヨルダンとイスラエルの間には、1947年の国連決議などによって、パレスチナ人の国家建設が予約された。欧州の国際政治の舞台裏で長く活躍し、国家運営の技能に長けたユダヤ人に広大なパレスチナ全土を与えたら、英を中東から追い出すほど強いイスラエル国家が建設されると恐れ、英はイスラエルの領土をできるだけ小さくしたのだろう。

 加えて、英はアラブ側にイスラエル敵視の感情を植え付けた。英は、第二次大戦でアラブ諸国がドイツの味方をしないよう、アラブが夢見る「民族統合」のための組織「アラブ連盟」(アラブ諸国の連合体)を1945年に作ってやったが、その後約60年のアラブ連盟の歴史を見ると、米英に都合の良いように分裂され続けている。アラブ連盟は、英の傀儡組織と疑われるが、同時に同連盟は、イスラエルを強く敵視する組織であり続けてきた。

 1948年のイスラエル建国時に、イスラエルに宣戦布告したのはアラブ連盟だったし、1979年にイスラエルと和解したエジプトは、連盟から除名された(10年後に復帰した)。英(米の軍産英複合体)は、アラブ連盟を使って、アラブとイスラエルとの永続的対立を維持してきたといえる。覇権国によって作られた敵対構造の中で、イスラエルがアラブに和解を提案しても、拒絶されるだけだった。

posted by フジワラトシカズ at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年09月08日

『裁判員は「壁の落書き」を見る目があれば可』(最高裁)

保坂展人のどこどこ日記
裁判員は「壁の落書き」を見る目があれば可』(最高裁) から


裁判員制度を問う / 2008年09月08日

裁判員制度をめぐる議論を臨時国会でしっかりやろうという私たちの姿勢はよそに、福田総理は政権を投げ出してしまい、2年続けて「自民党総裁選騒ぎ」に突入して、解散・総選挙へと向かっている。「一日も早い解散・総選挙を」と訴えてきたが、国会での議論もしっかり行なうべきではないか。しかし、国会で議論をすればするほど、与党が形勢不利になるという判断をするのであれば、総選挙で決着するしかない。その際に、裁判員制度も重要なテーマであり、各党がそのスタンスをはっきりさせて有権者の審判を仰ぐべきだと思う。先日、社民党で行った勉強会の席で、次のような「最高裁ホームページ」の記事が話題になった。

法律を知らなくても判断することはできるのですか。

裁判員は,事実があったかなかったかを判断します。裁判員の仕事に必要な『法律に関する知識』や『刑事裁判の手続』については,裁判官が丁寧にご説明します。

皆さんも日常生活の中で,何らかの根拠から事実があったかどうかを判断することがあると思います。 例えば,壁にらくがきを見つけたお母さんが,このいたずらは兄と弟のどちらがやったのかと考える場合,「こんなに高いところには弟は背が届かないな。」とか,「このらくがきの字は弟の字だな。」とか,らくがきを見てどちらがやったのかを考えると思います。

刑事裁判でも証言を聞いたり,書類を読んだりしながら,事実があったかなかったかの判断をしていくので,日常の生活で行っていることと同じことをしていると言えます。

最高裁ホームページ


壁の落書きだって、弟が踏み台に乗ることもあるだろうし、文字ではなくて絵でどちらかまるで判らない場合もある。いちいち、持ち出してくる例が卑近で、国民を小馬鹿にしたような「わざとらしさ」が目につく。最高裁が行っている裁判員裁判の模擬裁判では「死刑求刑事件」の模擬裁判を行わない理由とシンクロしてくる。厳しく陰惨な事件の裁判を、裁判員裁判で行うというのに、「死刑問題」が政治的に微妙な時期だからと言って避けるのは納得できない。皆さんからの意見を呼びかけたら、Uさんからメールをいただいた。

裁判員制度についてのUさんからの手紙

裁判員制度について、先生のブログ拝見しました。私もまったく同感です。質問主意書を出したりして、是非法務省の姿勢を追及してください。貴党の御活躍を期待しております。 もし、廃止がまにあわなかったら、全員辞退する運動をしてほしいと思います。

裁判員制度について、とても重大なことなのに、なぜマスコミは法務省の下請けのように、裁判員制度がはじまるという視点でキャンペーンの一翼を担うような報道しかしないのでしょうか。なぜ、裁判員制度自体の当否をしっかり検証しないのでしょうか。本当に実施されたら、まさに「第2の後期高齢者制度」のように混乱すると思います。

以下、条文と、法務省ならびに裁判所のHPを読んで、私が感じている、制度の疑問点(批判)です。

・そもそも「司法への国民参加」というが、なぜその名の下に、事実上参加を強制されなくてはいけないでしょうか。「裁判官以外の人間が、ひとを裁く」ことに対して、それが自分の思想信条に反する場合はどうなのでしょうか。私は自分の良心に従いたいと思います。ひとを裁くことはそんな簡単なことなのでしょうか。

私は、それはある意味、神の領域に近いような重い責任だと思っています。それは裁判の歴史を考えてみれば自明のことです。裁判官に対する俸給や身分保障、社会的地位はその裏返しだと思うのですが。極端に言ってしまえば、裁判員制度は裁判官の責任放棄であるとも感じています。

・裁判所のHPのQ&Aの内容も大変不誠実だと思います。

裁判での判断は、壁の落書きと同じ程度の軽いものですか。なぜ評議で裁判官と同等の権限である裁判員は、判決書に署名しないのか、合理的な理由を教えてください。なぜ、HPで揚げるやむをえない事情辞退事由の例に、あえて精神的不利益を例示しないのですか。

・国民は、すでに国民審査という形で司法に参加しています。 これは本来、国民の司法に対する相当の関与であるはずです。国が広報をするのであれば、国民審査を形骸化させないように、啓発して充実させるほうが、よほど大切だと思います。

・裁判員法は主体的な刑事裁判への国民参加ということをいいますが、なぜ主体的
に刑事裁判に無理やり参加させらればいけないのでしょうか。

法は、制度の見直し規定を入れているが、裁判員制度を存続させ、充実させる方向でしか、書かれていません。

・過去の裁判例の積み重ねに関する知識がない、素人が事実認定と量刑の判断に加
わることへの違和感、量刑がばらつくことの危惧があります。事実上、裁判員による裁判すなわち1審の意味がなくなり、2審で量刑のばらつきを是正することになるのではないでしょうか。

・事実認定、責任能力が問題になった場合、たとえば弁護側と検察側とで対立する
ような精神鑑定や法医学鑑定書の内容を裁判員は「市民常識」で、読み解けるのでしょうか。

・憲法違反ではないか(18条、19条)。国民を強制的に「動員」することへのある
種の違和感があります。それから、なぜ、辞退するのに理由を言わなければいけないのか。思想信条の自由は、思想を無理やり表明させられないという、沈黙の自由もあるのではないでしょうか。仮に思想信条の自由を理由に辞退できるとして、なぜ裁判所に対してその思想信条を表明しなければいけないのでしょうか。

さらに憲法でいえば、裁判にとってもっとも大切な裁判官の独立、すなわち裁判官が「独立」してその職権をおこなうことに抵触するのではないでしょうか。

・テレビで報道された模擬裁判では、あえて、傷害事件のような、明白なわかりや
すい例だけ意図的に扱っていますが、実際、死刑か無期か、死刑か無罪かという選択を迫られるような事例のときに、その判断を下すような重い選択、その精神的心理的負担をなぜ素人の市民が10000円(日当)でしなくてはならないのでしょうか。

・残虐な証拠写真や書類に目を通したり、究極の判断を迫られたことに対するPTSD
などの問題は、予算900万円で電話相談してすむような軽いものなのでしょうか。あまりにも人の心を安易に考えすぎていると思います。

以上が今自分で考えている疑問です。事実に誤りがあったら申し訳ありません。一言で言うと、ひとを裁くということ、人の自由や生命を剥奪しなければならな
いことに関する重みの認識がまったく考えられていないと思います。

「国民の司法参加」のひとことで片付く問題なのでしょうか。 国民の司法参加の一言の薄弱な根拠で本当にいいのでしょうか。そもそも国民の司法参加がなぜ重大な刑事裁判への参加なのでしょうか。私は、たとえ刑罰を科されても参加しないでいようと思っています。

法律はできてしまいましたから、実施までに廃止が間に合わなければ、通知を受けたひと全員が、無視して、参加しなければいいと思います。10万円の過料(行政罰)を払えば参加しなくてもよいということでしょうか。

此の現実を無視して、唯(ただ)徒(いたずら)に聖戦の美名に隠れて、国民的
犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰 く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありました。ならば、現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない。

これは、斎藤隆夫の帝国議会での発言です。「司法への国民参加」の美名の下に、・・・ろくな見通しもないまま始まろうとしているこの制度は、国家の大計を誤り、今までに積み上げてきた司法に対する信頼を失わせてしまうのではないでしょうか。知的に不誠実であり、説明不足もはなはだしいと思います。

[Uさんのメール終了]

今後もたくさんの方から御意見をいただきたい。総選挙前の「論点」にしっかりすえていこうと思う。

posted by フジワラトシカズ at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年09月06日

ケータイと脳腫瘍

「ケータイで脳腫瘍」論争 ガン研究所が警告、全米No1トーク番組「ラリーキングライブ」が2回特集
http://www.mynewsjapan.com/reports/902

「因果関係がある」という研究結果と「ない」という研究結果。
水俣病の時にも、政府・企業と近しい学者が同じ事をしていましたね。
今も「遺伝子組み換え」やら「放射能被害」に関しても御用学者≠ニいわれる人たちがセッセセッセと反対の発表をしています。

世の中の構図が、だいたい分かってきましたよね。

あ〜、子どもに特に影響がありそうですね...
posted by フジワラトシカズ at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月05日

「安い」の裏側

きっこのブログ「史上最強の生物兵器、襲来!」より

「‥‥そんなワケで、この映像を見れば、絶対に安いタマゴなんか口にできなくなると思うけど、それ以上に、こんなに劣悪な状況のニワトリたちの糞を集めて、それをエサにして育てた牛の肉も、とてもじゃないけど口にできなくなると思う。それは、狂牛病に感染するとかしないとか論じる以前の問題としてだ。」

「アメリカのイセ食品の養鶏場」
http://www.petatv.com/tvpopup/Prefs.asp?video=inside_egg

ついでにイセ食品のサイト
http://www.ise-egg.co.jp/


『Goveg.com』で「私たちのお肉」に会ってみてください。
http://www.goveg.com/
これは衝撃!...を通り越して、なんと言っていいのか...気持ち悪くなって悲しくなる。


SafariScreenSnapz003.jpg
サイト左側のメニューでで動物を選ぶと、動画のページが開きます。
posted by フジワラトシカズ at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年03月14日

南京事件のハッキリした証拠があるのに

『クッキーと紅茶と』より
■南京事件否定派はなぜ「現代歴史学と南京事件」を10ヶ月無視し続けるのか?

「現代歴史学と南京事件」(柏書房、笠原十九司・吉田裕編著、2006年5月刊)が刊行されて10ヶ月経過しましたが、否定派の人たちからはこの本で紹介された「岡村寧次大将陣中感想録」『戦場心理ノ研究−総論−』の2つの史料に対するレスポンスがありません。早い話が「スルー」されているわけです。
映画「南京の真実」とか冨澤繁信「「南京事件」発展史」とか自民党・民主党それぞれの議連とか櫻井よしこ氏の言説とか、この10ヶ月で否定派の言動は活発化しているのに、どうして「岡村寧次大将陣中感想録」『戦場心理ノ研究−総論−』は徹底的に無視されるのでしょうか。
というか、「岡村寧次大将陣中感想録」『戦場心理ノ研究−総論−』を無視したうえで構築される「南京事件否定論」に、意味はあるのでしょうか。

2つの日本軍史料をスルーして否定論を発信する行為は、それこそ「歴史修正主義者のプロパガンダ」と判断されても仕方がないでしょう。
posted by フジワラトシカズ at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年03月05日

米国の保険会社

アフラックとかアメリカン・ダイレクトとか
「うさんくさいCMとうさんくさい契約内容」(あくまでもボクの持ったイメージ)
あの猛烈なCMの本数はフツーじゃない。どうかしている。
いったい何億かけてるんだろう?
そして、あの契約内容で採算があうというのか?

日本の保険会社が「かわいく」見えてしまうほどのうさん臭さ。

では、本国米国の保険事情はというと....

アメリカ医療システムの危機
posted by フジワラトシカズ at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年02月25日

「クラスター爆弾」と「赤ちゃんポスト」

いつも真っ直ぐで熱い元外交官レバノン大使の天木直人さんのブログからショックな話題を2つ。

■「クラスター爆弾禁止に踏み切れない日本外交の迷走」

クラスター爆弾禁止条約をつくろうとする国際会議に参加し、わざわざ「反対」した日本...


■「「赤ちゃんポスト」は悲しすぎる。」
熊本市の病院が、「放置して死なせるよりもましだ」という理由で赤ちゃんを託す(捨てる?)ポストを設置するというニュース...
posted by フジワラトシカズ at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年01月15日

「日本の自衛隊員も検査すべきだ」

日刊ベリタ『影山あさ子「戦争する国・アメリカ」』(木村嘉代子さんの記事)の連載を是非お読みください。
地球で一番の大量破壊兵器を持ち、戦争に国家予算の半分をつぎ込むニホンの盟友アメリカ。その国民の現状を知ることができます。


そして
連載2回目では、イラクのサマワで従軍していた兵士の身体の異常についてレポートされています。この地に派遣された自衛隊員たちは大丈夫でしょうか... 人知れず苦しんでいる家族があるのではないでしょうか...

ここから引用
▽劣化ウラン弾とレイプ 
 
 ハーバート・リードさんはニューヨークの州兵としてイラクに派兵した。本職は警察官だ。州兵とはパートタイムの兵士で、週に何回か軍役につき、徴兵されたら戦地へ向かわなければならない。 
 彼はサマワに30日間駐留し、刑務所の建設にたずさわった。そこは、オランダ軍が危険地帯として退去した地区である。 
 1ヶ月ほどの滞在中に、全身から出血したり、気を失って倒れたりした。帰国後は甲状腺が腫れ、サマワに行ったニューヨーク州兵16人がすべて同じ症状を訴えている。 
 
 軍の病院では原因不明と診断されたが、リードさんらは、適切な治療を怠ったとして、病院や軍を相手に訴訟中だ。 
 体中が痛み、働きに出ることはできない。現在は1日に10数種類の薬を飲む毎日で、呼吸器障害もあるため、夜は酸素マスクなしでは眠れない。 
 唯一の楽しみは、まだ幼い子どもたちのために弁当を作ることだという。辛くても、毎朝弁当を用意することで、寝たきり生活になるのを防いでいる。 
 
 リードさんは、劣化ウラン弾の影響だと信じて疑わない。「日本の自衛隊員も検査すべきだ」と繰り返し言っていた。先天性異常のイラクの子どもたちの写真を見せたところ、「何を言うことができるだろう」と沈痛な面持ちで答え、「苦しんでいるイラクの子どもたちは、未来のアメリカの子どもたちだ」と述べた。
posted by フジワラトシカズ at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ネットの自由を奪え!

『国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジン』より
http://blog.mag2.com/m/log/0000154606/108136670.html

2ちゃんねるを廃止したい政府の介入疑惑について
2ちゃんねる差し押さえの件について

これはいうまでもなく、
現在の日本の政権の言論弾圧にそうものである。

先日、突然、自民が、ネット弾圧に乗り出した。

つまり国民資産340兆円売却計画や、高速道路売却計画や、
会社を紙切れで外資が買える法案は、真相が知られると
とてもまずい。

それに植草一秀氏の件や、りそなインサイダーもそうである。
自由な言論は頭にくるということだ。

だから、2月に施行されるという、とんでもない法案を
可決している。

それは、著作権法違反や
名誉毀損だと感じた場合、そのプロバイダーに、本人の同意なく、
その書き込んだ人の情報を開示せよというものだ。
posted by フジワラトシカズ at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年01月14日

ずるずると...

ずいぶんと早い展開ですこと...
こうやって、アメリカと一緒に軍事活動ができる“軍隊”になっていきますね。

「任務遂行への妨害を排除する場合」という判断が、とっさの現場ではできず、たくさんの一般市民を殺害したことはイラクで十分以上に見せつけられました。

自衛隊PKO、武器の先制使用を検討…対象は非正規軍
1月14日9時57分配信 読売新聞


 政府は13日、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づき海外で活動する自衛隊員らの武器使用について、従来の憲法解釈を変更し、自らの身に危険がない場合でも、任務遂行への妨害を排除する場合は使用を容認する方向で検討に入った。

 自衛隊が停戦監視などの国連平和維持隊(PKF)本体業務に参加するのに必要と判断した。ただ、武器使用の対象は、犯罪集団など国の正規軍でないことが明確なケースに限定。国連施設を守ったり、逮捕者の逃亡を防いだりする時、相手から撃たれなくても先に武器を使うことを可能とする。政府は年内に解釈変更を表明し、PKO協力法など関連法の改正作業に入りたい考えだ。

 現在の政府の憲法解釈では、「(自分の身を守るための)自然権的権利を超える武器使用は、憲法9条が禁ずる武力の行使に該当するおそれがある」としている。このため、PKO協力法が定める武器使用は、自衛隊員らが不測の攻撃にさらされた場合、自分や共に現場にいる人の命や身を守る時以外、できないことになっている。

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2006年11月18日

愛国心

「あたしは、愛国心て言うのは、国を愛する心じゃなくて、その国の国民を愛する心だと思ってる。そうじゃなかったら、北朝鮮みたく、国のために国民が犠牲になるのが愛国心てことになっちゃうからだ。あたしは、国があっての国民じゃなくて、国民があっての国だって思ってる。」

by 『きっこの日記』のきっこさん
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2006/11/post_60b6.html
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2006年10月23日

道教委ギャフン!

君が代:卒業式で斉唱妨害 教諭の処分取り消し 道人事委
 01年3月に行われた北海道の倶知安町立倶知安中学校の卒業式で、君が代斉唱を妨害したとして道教委から訓告処分を受けた男性教諭(49)が、道人事委員会に処分の取り消しを求めた請求で、道人事委員会は「懲戒処分の乱用に当たる」として、処分を取り消す裁決を出した。東京地裁は9月、日の丸・君が代を義務付けた東京都教委の通達は憲法が認める思想・信条の自由を侵す」と違憲とした判決が出たばかりだが、文部科学省によると、都道府県の人事委員会で処分を取り消したのは全国初とみられる。

毎日新聞 2006年10月23日 13時35分 (最終更新時間 10月23日 13時52分)続きを読む
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2006年09月23日

アシリ・レラ

アシリ・レラ

私はずっと闘って来た。アイヌとして。でも闘って来た相手はシサムじゃない。
私は私自身と闘って来た。闘うべき相手はいつも自分自身なのだ。
なぜ私の言葉は相手に届かないのか、
なぜ私の思いは伝わらないのか、
なぜ相手は私を攻撃するのか、
それは私の言葉が足りないから、私の態度が攻撃的だからではないのか……と。
私は今日、精一杯あらん限りの言葉で何かを伝えようとしたか、
私は今日、驕ることなく人を見たか、
私は今日、謙虚に祈ったか、伝えることを諦めなかったか、
怒りをもって語らなかったか、憎しみに負けなかったか……と。
生きることは絶え間ない自分との闘いだよ。
他人と闘っている暇はない。


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2006年09月12日

9.11は終わっていません

Tokyo911TruthIntConference.gif

「テロ」といえばそうなんでしょう。でも、誰が首謀者なのか、そこが問題です。

この事件へのアメリカ政府の対応に関して、不自然なことが山ほど指摘されています。
深刻な疑問も沢山ありますが、笑っちゃう様なデータもあります。9.11の調査費用が、クリントンのセックス・スキャンダルの調査費用の4分の1というのは、どういうことでしょうか?

みなさん、試しに9.11陰謀説のサイトを覗いてみてください。あきれてしまうような単純な疑問に山ほどで会うことになります。
posted by フジワラトシカズ at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年08月31日

「10万発」もの不発弾

イスラエルは、停戦間際にクラスター爆弾をレバノンにぶちまけた。10万発の不発弾が、レバノンの人々を脅かしている。静かに爆発の時を待っている...

イスラエル、集束爆弾を停戦直前に集中使用 「道義に反する」

 イスラエル軍がレバノン南部で使用したクラスター(集束)爆弾の不発弾による被害が深刻化している問題で、国連のエグランド人道問題担当事務次長は30日、集束爆弾の9割は戦闘停止発効の直前3日間に集中的に使用されたとして「道義に反する」と非難した。
 大量の不発弾は民間人の帰還や支援物資搬入を阻害し、復興の足かせとなる恐れが国連や非政府組織(NGO)から指摘されており、ストックホルムで31日に開催されるレバノン復興支援会合でも対策が話し合われるとみられる。

 事務次長によると、国連地雷対策調整センターはイスラエル軍の爆撃対象となったレバノン南部で、集束爆弾が使われた359カ所を調査。その結果「10万発」もの不発弾が残っている可能性が判明したという。(共同)

(08/31 11:41)
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2006年06月27日

やっと日本にも9/11の真相究明の波が来た(かも)

『本日発売の『スパ』に911のこと』

英語圏にはたくさんの9/1に疑問を投げかけているサイトがあります。
http://english.globalpeace.jp/GPCResources.html

こちらは9/11に対して問題提起したはじめてのビデオ作品(米国)を翻訳した物です。
『911 ボーイングを捜せ』の公式サイト
posted by フジワラトシカズ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

日本って変だ

オーストラリアから来てくださったテッサ・モーリス・スズキさんが、外から見た日本の問題について、とても分かりやすく話してくださいました。(日本語で)

 たとえば、アイヌの事。
 日本の北方(東北から以北)に住んでいた先住民族のアイヌから、二百年ほど前から、武力と経済力であらゆる物を奪ってきました。これは、いわゆる「侵略」というものです。
それに対して正式な謝罪も、納得のいく保証もなく、学校では「差別される少数民族」としてしか扱われず、彼らの心は傷ついたまま放置されています。
いくつか彼らのための法律が作られましたが、実態を大きくかえる力にはなっていません。

 大通公園に開拓使の銅像はあるけど、アイヌの銅像が無いのはなぜ?(アイヌが“銅像"を希望するかどうか分かりませんものね。)
学校でアイヌの文化が教えられていないのはなぜ?

 北海道は、けっして歴史の浅い土地ではないのです。
なぜならアイヌという大先輩が太古の時代から、自然と見事に共生する知恵を持って暮らしていたからです。
 そう考えると「開拓記念館」や「百年記念塔」は、アイヌの人々にとっては「侵略」という痛みの象徴に見えるのかもしれません。

 昨日、ご一緒したアイヌ・アート・プロジェクトの結城さんが「北海道の人はアイヌを知らなすぎる」と言っていました。そして「互いの思いやりが大切だ。同じ“北海道人"として生きていきたい」とも。

 僕は、子ども心に「アイヌ」と「差別」を結びつけて受け取っていて、なんとなくその事に触れるのを避けていた気がします。「奪われたといっても、過去の話だし...」というような思いがありました。
しかし、今を生きているアイヌの人々の傷は、今も続いています。その過去の傷を癒す事をしないで、どんな未来があるでしょう?

在日の朝鮮人、韓国人、台湾人の方々の過去についても「それはないでしょ〜!」というような事実がを知りました。これらの過去を見ないふり・無かった振りをしていては、何も変えることができないと思います。

 今の日本政府が目指している「格差社会・勝ち負け社会」とはまったく反対方向にある「共生・共存・共同で思いやりのある社会」をめざして行きませんか?
posted by フジワラトシカズ at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年05月02日

このブログ...

ここは『さくらインターネット』のブログです。

残念なことに迷惑コメントと迷惑トラックバックへの対応ができていないために、日々どんどんと送りつけられ続けています。
で、すっかりここに書く気がなくなっちゃた。

対応をお願いしても全然動いてくれないし.....

これ以外は気に入ってるんだけどな。

ロリポップのブログは優れた迷惑対策がありますよ!
そっちに移行を検討中です。
posted by フジワラトシカズ at 22:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記