2006年12月10日

『いじめ問題を説く園長先生』

JANJAN
『いじめ問題を説く園長先生』より


 『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という本がありました。その本の中身ではなく、題名と似た話です。

 先日、雑談がてら、学校でのいじめ問題について若草幼稚園(愛媛県松山市)の流水(りゅうすい)龍也園長に話を聞く機会がありましたので、にわかインタビューを紹介します。
◇   ◇   ◇
 「いじめなあ。幼児期は人間の根っこを作るって、みんなが、100人が100人、言うわけよ。それであるなら、その人がどういう人間になっていくかっていうのは幼児期の問題なんよ。そこんとこをいっぺん確認せないけんわな。けど、それが教育の話をするときは中学校以上の話みたいになっていく。問題が出てから、問題が出ているところで対応しようとする。

 (幼児期を変えることで、いじめ)問題を減らすのは、絶対できると思うんよ。

 今の幼児期の、幼稚園の問題というのがあって、幼児期に自己肯定というのが全くできてなくて。みんなが頑張れ頑張れていうんよ、大人は。幼稚園の先生、みんな頑張れ言うんが好きなんやな。ようがんばったな、いうんが好きなんやな。

 頑張れいうんは肯定する言葉じゃなくて、否定する言葉なわけよ。おまえ今のままじゃいかんぞ、もうちょっと上がれよ、という言葉なんよ。

 幼稚園って、もう完全に否定しとる、そのままでいいよって言うこと、ないんよなー。先生の言うこと聞かないけん、右手上げて、左手上げてと。それしたない、ゆうことも言わしてももらえんのよな。そういう現場にもうほとんどなっておって」
 (伊予弁そのままはここまで、以降はおおむね修正しました。)

 ※筆者コメント:「ガンバレ神戸!」という掛け声も阪神淡路大震災の後で何度も掛けられ、被災者の人たちからは、その呼びかけが鞭打たれるようでしんどかった、ということも聞きます。子どもたちもがんばれと言われて同じように感じているんでしょう。

筆者:そもそも幼稚園を通って小学校へいく子どもはどのくらいの率ですか?行かない子どもたちについては、家庭の育つところでどういう教育を親から受けてきたかが重要になるのでは?

流水:保育園を含めたらほとんど、8割とかが行く。親自身、家庭教育の問題は間違いなくある。もうすでに肯定されたことのない親が、自己肯定できてない親が子どもを育てている。それはもう、これまでの教育の結果としての親なので言ってもどうしようもない。しかし子どもと付き合うのを公の仕事にしている人間が……(きちっとしようとしないのは別)。

 ウチみたいな、自分で考えて自分で幼稚園で生活しなさいよ、というのは本来、幼稚園のスタンダード。幼稚園ができたときから、先人の教え、フレーベルが幼稚園を作ったときに、幼稚園は子どもたちが生活する場であるというのが出発点。生活をするところ、幼稚園というのは生活をしながら生活を覚えていくところなわけ。そこがもう完全にくずれとる。

 たとえば制服着せる幼稚園が多い。制服いうのは間違いなく生活する服ではない。同じでないといかんという発想の出発点。とりあえず自分の意思で動くというのが生活。自分がこっちがいいと思ってこっちに行く、これはダメと思って止めるのが生活。それを子どもたちが幼児期に経験していないわけ。自分で考えて自分で決めて、というのが自己決定権。自己決定権というのを経験せずに小学校に行っている。

 自分で決めることができない子どもたちが小学校に上がり、子どもらにまかせてたらクラスが崩壊する。その子どもらがさらに中学校に行っている。中学生でも自己決定する経験がなくて体力だけついて、そこでボーンと荒れるわけ。それがずーっとの流れ。幼稚園の時に、自己決定、自分で判断する、1つひとつのことを善いか悪いかの判断しながらの生活をさせとったら、もう中学校へとすーっとつながっていく。

筆者:でも学級崩壊と言われるのは、結構最近に増えている話かと思うんですが、自己決定がなかった状態というのはずっと以前からあったのでは?以前はどうしてそうならなかったのか?

流水:確かに以前からそうだった。前は小学校の側が厳しかったが、今は徐々に柔らかくなりつつある。自主性に任せなあかんと言い出して、それは本当はいい傾向だけど、一番下での経験をちゃんとやっていない子供が上がっていったところで柔らかくなって問題となっている。これは悪循環で、幼稚園が直りさえしていたら、幼稚園がするべきことさえしていたらうまくいく。

 ところが幼稚園は小学校の前段階で、小学校へ進むために幼稚園があるという思い込みがある。小学校へ行かせるために団体行動に慣れさせるために親が入れるというところがある。もっと大事な、一番大事な、人間になる、生活を覚えるという経験と、自己肯定が大事だと思われていない。経験させてもらっていない。くやしいけど、それでいいよって言ってもらった経験のない子が年次が上がっていく。

 若草幼稚園の場合、他の幼稚園からも悪口を一杯言われよる。けどウチの子どもたちは一番落ち着いている。他の幼稚園は若草を認められない。若草を認めるということは自分を否定することになる。そういった幼稚園ではサービス業をしている。親が要求することに応える。字を教えてください、はい。英語を教えてください、はい。給食します弁当作らんでええです、って言う。

 ウチも親からの問い合わせで給食ありますか、と聞かれる。給食してもかまわんけど、100%そのへんの仕出し屋さんから取り寄せている。ウチにも営業によく来るけど相手にしていない。親が一番に聞くのは給食ありますか、ってこと。最近はもうウチの方針が知れ渡って問い合わせで聞かれることはほとんどないが。

筆者:これから先もちろん、幼稚園を変えることが重要だということですね。

流水:というより幼児期を変えないかん。それとプロフェッショナルとして子どもと付き合う人間が勉強していない。ほとんどしてない。経営を素人がしたり、小学校の校長上がりが幼稚園に来ることが結構多い。

 いまの学校教育法には幼稚園の目的というのがあって、小学校の目的というのがある。「幼稚園は、適当な環境を与えて子どもの心身の発達を助長することを目的とする」。なかなかいい言葉で、助長とある。「小学校は、初等教育を施すことを目的とする」。幼稚園は小学校とは全然目的が違う。

 ※筆者コメント:第77条には「幼稚園は、幼児を保育し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする」。また第17条に「小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする」とあります。

筆者:本来は幼稚園の時期を広げて、幼稚園をもっと延長させろというべきですか?

流水:幼児期はいつまで、という議論があって、歳につが付く時期(9つ)まで、つまり小学校3年生までだとみんな言う。絵本にしてもその時期までは読んで聞かせた方がいい。ほんとは小学校3年ぐらいまで幼稚園でおったらええんやけどな。

 ※筆者コメント:新しい6333制(幼稚園が6年間)のススメですね。

筆者:私立の小学校でそういう幼稚園を伸ばすしくみはないんですか?やりたいんですね?

流水:わしなあ、小学校3年までの幼稚園やりたいんよ。

 ※筆者コメント:ちなみに伊予弁では自分自身を指す言葉は幼児期から「わし」ですが、今ではこの言葉は絶滅に瀕しているでしょうね。

筆者:できないんですか?

流水:無理やろなあ、お金がないんよ、小学校は相当掛かる。親からはしょっちゅう言われよる。小学校作ってくれ、若草幼稚園のようなの作ってくれ、ゆうて。それをやったら子どもたちは落ち着く。間違いなく落ち着く。自己肯定できた子どもは落ち着く。できとるやつ今はほんとにおらんよ。いじめするやつが一番自己肯定できとらん。

筆者:いじめっ子はどうしたらいいんです?

流水:どうしたら自己肯定ができるか、というと他人に肯定してもらうところから出発するしかない。周りの大人にええぞええぞーって言い続けてもらわなあかん。日本の子どもはそれをしてもらってない。2回くらい視察で見に行ったが、ドイツの子どもは落ちついてる、テンションが低い。日本の子どもはテンションが高い。なぜって思うほど。もういやなことを一杯言って大人の関心を引こうとする。そういう状態に子どもが置かされている。彼らはそれをしないと発散できないので、そうするしかない。

筆者:小学校も高学年の方になってから、もう1回幼児期をやり直すというような、後から復活させるっていうのはできるんですか?

流水:大人になってから赤ちゃんからやりなおすということもあるよ。肯定されてない子どもはどこかからやり直すしかない。赤ちゃんって抱っこされて、よしよし、言うてやり直すというのはよくわかる話。自己肯定が完全にテーマやな。本当にいじめっ子のためにやっていかなあかん。いじめられっ子もできとったら死ぬことはない。死ななあかんと思うのは自己肯定できてないから。両方の子どもにとっての問題。

筆者:(小学校で柔らかくなるとダメなのと同じように)幼稚園で間に合うんですか、ほんとの幼児期というのはもっと前じゃないんですか。

流水:間に合う。甘やかしておきさえすれば大丈夫やけどな。べったりでええんよ。それができん親がおってな。

筆者:みんなおばあちゃん子にしちゃうというのはどうなんですか。

流水:それはいいアイデアかもしれんな。

 中学になったら遅いかなあという気がする。遅いというてもそういうやつおるんやけど、遅いというたってしょうがないけん。絶対な、子どもが一番の弱者やと思うんよな。子ども以上の弱者はおらんのよ。大人はもう自分で戦え、て思うなわしゃあ。大人が半分くらい子どもの方を向いたら、これが15年くらいたったら落ち着く思うな。今のままだったらいつまで経っても落ち着かん。

 最近はまた自己肯定をいろんな人が言い出してるので結構うれしい。言葉をはやらすのが最初にすべきこと。前は子どもの権利条約、権利条約と言い回ったが、言葉が広がるだけで全然ちがう。そもそも権利について考えたやついない。そんなもんあると思った大人っていなかった。そういう言葉があるってことを知るだけでも変わる。自己肯定をとにかく広めなあかん。

筆者:幼児期の経験の重要性の認識については?

流水:大人はその頃のことを覚えてないので大抵重要視してないんやろなあ。

◇   ◇   ◇
 ほかにも聞きましたが、まとまりませんのでこのくらいで。

 僕自身も、園長が幼稚園屋と呼ぶ街中の大きな幼稚園出身で、気の毒がられましたが、確かに別の小学校へ通っていたかのような記憶がおぼろげに残っているくらいです。

 教育基本法の改正が国会で強行されています。小学校や幼稚園まで波及する変化もあるでしょうが、今の問題についての共通認識を作ることが先決で、今回行われている老人たちのルサンチマン対策としての改正の方向では、ますます悪い方向へいきそうな気がします。

(小倉正)
posted by フジワラトシカズ at 14:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 子ども
この記事へのコメント
ヒロです!
びっくり、松山の若草幼稚園は自分の通っていた所です!
伊予弁なつかし〜 (^。^)
Posted by 矢内俊光 at 2006年12月13日 02:08
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