2008年09月09日

作られる敵対 イスラエルvs.アラブもか!?

イスラエルの戦争と和平
2008年9月9日   田中 宇
http://tanakanews.com/080909israel.htm

[抜粋]
 イスラエルは1948年、イギリスの植民地(国際連盟の信託統治領)だったパレスチナの西側4分の1の地域で建国した。中東全域を支配していた英は、中東の各勢力をできるだけ分割し、相互に敵対状態を永続させることで、外部から支配している英が漁夫の利を得て仲裁役に立てる均衡戦略(バランス・オブ・パワー)を採っていた。

 その一環として、英はユダヤ人国家の領土が大きくなりすぎないよう、パレスチナの東半分(ヨルダン川東岸)でアラブ人の国王(ハーシム家)に建国を許し、トランスヨルダン(今のヨルダン)を作った。さらに、トランスヨルダンとイスラエルの間には、1947年の国連決議などによって、パレスチナ人の国家建設が予約された。欧州の国際政治の舞台裏で長く活躍し、国家運営の技能に長けたユダヤ人に広大なパレスチナ全土を与えたら、英を中東から追い出すほど強いイスラエル国家が建設されると恐れ、英はイスラエルの領土をできるだけ小さくしたのだろう。

 加えて、英はアラブ側にイスラエル敵視の感情を植え付けた。英は、第二次大戦でアラブ諸国がドイツの味方をしないよう、アラブが夢見る「民族統合」のための組織「アラブ連盟」(アラブ諸国の連合体)を1945年に作ってやったが、その後約60年のアラブ連盟の歴史を見ると、米英に都合の良いように分裂され続けている。アラブ連盟は、英の傀儡組織と疑われるが、同時に同連盟は、イスラエルを強く敵視する組織であり続けてきた。

 1948年のイスラエル建国時に、イスラエルに宣戦布告したのはアラブ連盟だったし、1979年にイスラエルと和解したエジプトは、連盟から除名された(10年後に復帰した)。英(米の軍産英複合体)は、アラブ連盟を使って、アラブとイスラエルとの永続的対立を維持してきたといえる。覇権国によって作られた敵対構造の中で、イスラエルがアラブに和解を提案しても、拒絶されるだけだった。

posted by フジワラトシカズ at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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