2009年02月18日

村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ全文

media debuggerさんのブログから(素晴らしい翻訳ありがとうございます!)
http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090218/1234917019

このスピーチの翻訳を読んで胸が熱くなりました。
このように大切な事柄をストレートに語ってくれたことをうれしく思います。

「僕たちは誰もが確かに感じることのできる生きた魂を持っています。システムにはそんなものはありません」
映画『マトリックス』を思い起こしましました。

村上春樹さん、さすが作家ですね。表現のムツカシイ世界の闇の存在を、とても分かりやすく、しかも力強く表現してくださいました。ありがとうございます。


村上春樹:「僕はいつでも卵の側に立つ」

 今日、僕は小説家としてエルサレムに来ました。小説家は、いわば職業として嘘をつむぐ者です。

 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。僕らがよく知っているように、政治家も嘘をつきます。外交官や軍人も、ときには、かれららしい嘘をつきます。中古車の販売員が中古車の販売員的な嘘をつき、肉屋が肉屋的な嘘をつき、建設業者が建設業者的な嘘をつくことがあるように。けれども、小説化の嘘は、嘘をついたからといって誰かに不道徳だと非難されることがないという点で、他の人たちの嘘とは異なっています。それどころか、小説家の嘘は、それが壮大で優れたものであればあるほど、そして、小説家がそうした嘘をより独創的に生み出すほど、読者や批評家から賞賛されるようになります。これはいったいどういうわけでしょう?

 僕の答えを言うなら、それはこういうものです。すなわち、巧みな嘘をつくことによって―つまり真実のように見えるフィクションを作り出すことによって―小説家は真実を新しい場所に運び出し、真実に新しい光を当てることができるのです。たいていの場合は、真実を本来の形のまま理解したり、それを正確に描写したりすることは、実質的に不可能です。こういうわけで、小説家は、真実をその隠れ家から誘い出し、虚構の場所に移し、虚構の形に作り変えることによって、真実の尻尾をつかみ取ろうとします。けれども、これを成しとげるためには、小説家はまず私たちの内にある真実の居場所を突き止めなければなりません。これは、よい嘘を生み出すための重要な条件です。けれども、今日は、僕も嘘をつくつもりはありません。できるだけ正直になろうと思います。僕が嘘をつかずにいる日は一年のうち数日しかありませんが、今日はちょうどそのうちの一日なのです。

 そういうわけで、みなさんに対して真実を語ることを許してください。実に多くの人たちが、エルサレム賞を受賞するために僕がここに来るのを引きとめようとしました。僕がエルサレムに行けば僕の作品のボイコット運動を始めると警告した人たちさえいました。

 その理由は、もちろん、ガザで行なわれていた熾烈な戦いにありました。国連の報道によれば、封鎖されたガザ・シティでは千人以上の人々が命を失いました。その多くは非武装の市民―子どもや老人たち―でした。

 エルサレム賞についての警告を受け取るたびに、僕は、こんなときにイスラエルに出かけていって文学賞を受け取ってよいものだろうか、そんなことをしたら僕が紛争の一方の当事者を支持している、つまり、その圧倒的な軍事力を行使することを選んだ国家の政策を支持している、という印象を与えてしまうのではないか、と悩みました。もちろん、そんな印象を持たれるのはごめんでした。僕はどんな戦争にも賛成しないし、どんな国家だって支持しません。そして、もちろん、僕の作品がボイコットされるのを見るのもごめんです。

 でも、結局、熟慮を重ねた上で、ここに来ることに決めました。その理由のひとつは、あまりにも多くの人たちがここに来ない方がよいと忠告したからです。おそらく、他の多くの小説家がそうであるように、言われたことと逆のことをしてしまう傾向が僕にはあります。「そこに行くな」「それをするな」と言われる―特に警告される―と、僕は「そこへ行」き「それをし」たくなってしまうのです。これは僕の性分ですが、小説家としての性分でもあるかもしれません。小説家は変わり者ですからね。小説家は、自分の目で見たり自分の手で触ったものでなければ、何も心から信じることはできないのです。

 僕は政治的なメッセージを伝えるためにここにいるわけではありません。もちろん、何が正しくて何が間違っているかを判断することは、小説家のもっとも大切な仕事でもありますが。

 けれども、そうした判断をどのように伝えていくかということは、それぞれの小説家に委ねられています。僕自身はそれを物語―超現実的な物語―に書き換えることを好みます。そういうわけで、直截的な政治的メッセージを伝えるために、僕は今日みなさんの前に立っているわけではないのです。

 どうか、極めて個人的なひとつのメッセージをお伝えすることを許してほしいと思います。それは、僕が小説を書くときにいつも頭の中に置いていることです。僕はそれを紙に書いたことはないし、壁に貼ったこともありません。そうではなく、それは僕の心の壁に彫ってあることで、それはこういうものです。

 「高く固い壁と、壁に向かって体当たりをして割れてしまう卵があるなら、僕はいつでも卵の側に立つ」

 そう、たとえ、壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っているとしても、僕は卵の側に立つでしょう。何が正しくて何が間違っているかは、誰か別の人が決めるべきでしょうから。たぶん時間や歴史が。それがたとえどんな理由であったとしても、壁の側に立つ作品を作る小説家がいるとすれば、そんな作品にどんな価値があるというのでしょうか?

 この喩えは何を意味しているのでしょうか?いくつかの場合では、それは極めて単純で明快です。自爆犯と戦車とロケット弾と白燐弾が、高く固い壁です。卵は、それらに押しつぶされ、焼き尽くされ、撃たれてしまう非武装市民です。これが喩えのひとつの解釈です。

 けれども、これが解釈のすべてではありません。そこにより深い意味を見ることもできます。こんなふうに考えてみてください。僕たちは誰もが―多かれ少なかれ―卵なのです。僕たちは誰もが壊れやすい殻に包まれた、特別でかけがえのない魂です。これは僕にとっても当てはまりますし、みなさん一人ひとりにとっても同じことが言えます。そして、僕たちの誰もが―程度の差はあっても―高くて固い壁に向き合っています。壁には名前があります。それはシステムです。システムは僕たちを守ってくれるものだと思われていますが、ときにはそれが一人歩きして、僕たちを殺したり、僕たちが―冷酷に、効率的に、組織的に―人殺しをするように仕向け始めます。

 僕が小説を書く理由はたった一つだけで、それは個人の魂の尊厳を引き出して、それに光を当てることです。物語の意図は、システムが僕たちの魂をその触手で絡め取り、僕たちの魂を貶めるのを防ぐために、警鐘を鳴らし、システムを監視し続けることです。僕は、物語―生と死の物語、愛の物語、人々が泣いたり、恐怖に震えたり、笑いをかかえたりする物語―を書くことで、個々人の魂のかけがえのなさを讃えようとし続けることが、小説家の仕事であると心から信じています。これが、小説家が来る日も来る日も大真面目に小説をでっち上げている理由です。

 僕の父親は去年90歳で亡くなりました。父は教師を引退してパートタイムのお坊さんをやっていました。大学院にいたとき、父は徴兵されて中国の戦場に送り込まれました。戦後に生まれた子どもである僕は、父が、毎朝食事をする前に、家の仏壇の前で長く敬虔な祈りを捧げているのを眺めていたものでした。一度、僕は父にどうしてそんなことをするのか尋ねたことがありますが、父は戦争で亡くなった人たちのために祈っているのだと答えました。

 父は、亡くなったすべての人のために―味方のためにも敵のためにも―祈っていると言いました。仏壇の前にひざまずく父の背中をじっと見ていると、僕は父の回りをさまよっている死の影を感じるような気がしました。

 父は亡くなり、父の記憶―僕が決して知ることのない記憶―も失われてしまいました。けれども、父の回りに潜んでいた死の存在というものは、僕自身の記憶の中に残っています。それは、僕が父から受け継いだ数少ないものの一つですが、もっとも大切なことの一つでもあります。

 今日、僕がみなさんにお伝えできればよいと思うことが一つだけあります。僕たちはみんな人間です。国籍や民族、宗教にかかわらず、誰もがシステムと呼ばれる固い壁に向き合う壊れやすい卵です。どう見ても僕たちには勝ち目はないように見えます。壁はあまりにも高く、あまりにも強く、そしてあまりにも冷酷です。もしも僕たちに何かしらの勝利の希望があるとすれば、それは、僕たち自身の、そして他者の魂の絶対的な特別さとかけがえのなさを信じることと、僕たちの魂を合わせることによって得られる温かさを拠り所にする以外にないでしょう。

 どうかこのことを考えてみてください。僕たちは誰もが確かに感じることのできる生きた魂を持っています。システムにはそんなものはありません。システムが僕たちを利用することを許すべきではありません。システムが一人歩きすることを許すべきではありません。システムが僕たちを作ったのではありません。僕たちがシステムを作ったのです。

僕がみなさんに言わなければいけないことはそれだけです。

 僕はエルサレム賞を受賞できたことを感謝しています。僕の作品が世界の多くの場所で読まれていることに感謝します。今日、みなさんにお話をする機会が与えられたことにも、感謝します。
posted by フジワラトシカズ at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年01月16日

500メートル先に戦車が・・・

パレスチナ子どものキャンペーンです。
http://ccp-ngo.jp/

市街戦が始まっています。
ガザからの緊急の声を一人でも多くの人に伝えてください。

転送転載大歓迎 
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アムジャッドさんと電話がつながり、話を聞くことができました。
彼には、小さな娘が二人います。子どもたちはどんな思いでいるのでしょうか。
電話で話をすることしかできない自分がとても辛いです。

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ガザ 1月15日16:30(日本時間23:30)
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500メートル先に戦車が・・・
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国連の本部が攻撃されました。今、私の家族と一緒に家にいますが、家から500mのところにイスラエル軍の戦車がいて外にでることができません。これまでで最悪の日です。

彼らはテル・アル・ハワ地区に侵入し、次に小麦が保管されていたUNRWA(国連)本部を攻撃して火事が起きました。テル・アル・ハワ地区の人々は、女性も子どもも通りに出て逃げ出しました。この地域は人口密集した住宅地です。男たちが集められ、建物が取り上げられて火がつけられました。あらゆる方向から爆撃と砲火を浴びせ、アブダビのジャーナリスト2人が負傷し、1人は重傷です。

今、新たな空爆が始まりました。(爆発音)

イスラエルは状況をどんどんエスカレートさせています。今、人々は家を離れてあちこちに動き回っています。あらゆる方向から攻撃を受けているので、どこにも行けず、人々はただ動き回るだけです。いろいろな地域が攻撃を受けています。そのような地域から人々は逃げ出しています。

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人々が逃げまどっている
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昨夜は朝まで恐ろしい時を過ごしました。銃撃が連続しています。

(また爆発音を飛翔体の飛行音)

多くの人々が残骸の下敷きになっています。パレスチナ赤新月社が運営しているアル・クッズ病院も攻撃を受けました。ここには500人のパレスチナ人が避難しています。この病院もテル・アル・ハワ地区にあります。病院も救急車も民間防衛局も消防署も、全てが攻撃されています。多くが負傷したり死んだりしています。
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石油の備蓄も小麦もなくなった
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多くの人が、ただ逃げ回っています。今日の午後は多くの人がただ毛布やかばんだけを持って攻撃された地域からこちらに逃げてきています。テル・アル・ハワ地区の人々は国連本部に逃げ込んでいましたが、そこも攻撃されました。イスラエルは攻撃してUNRWA職員と避難民の3人が負傷しました。ここにはUNRWA本部のオフィスと倉庫がありました。

大きな問題は、この施設には石油が備蓄されていたことです。石油やガスの備蓄が破壊されたのは破局的です。これらの燃料は病院や井戸から水をくみ上げる施設に供給されていました。ガソリンや燃料はUNRWAだけにしかなかったのです。石油は攻撃目標になった二つのものの一つです。もう一つは小麦粉でした。もうガザには小麦も石油もありません。

空爆は無差別で、攻撃はあらゆる方角に向けられています。ただ殺すだけです。

皆さんによろしく。

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posted by フジワラトシカズ at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界平和

2008年12月26日

「海賊」おまえもか〜!

「ソマリア沖の海賊」が、メディアでにわかに騒がれているようだけど、これもまた「中東のテロリスト」と同じなのではないかと思う記事。
つまり、彼らもまた、ギリギリまで迫害され、殺され、追い詰められ、命がけで立ち向かっている「レジスタンス」なのではないか...

メディアが「テロリスト」と書く時、その実体はほとんど「異常な武装集団」などではない。
家族や家や町を粉々に破壊された住民たちが、武器を手にとって必死で抵抗する「レジスタンス」か、またはCIAなどが資金と武器を与えて訓練したヤラセ武装集団でる。
※この事については『テロリストは誰?』というビデオと本に実例が多数紹介されています。

「海賊」も同じなのかも!?と思わせてくれた記事を紹介します。
「ソマリア: CIAが支援したもう一つのクーデターの崩壊」
http://eigokiji.justblog.jp/blog/2008/12/cia-12e7.html


【一部引用】
海賊の物語には、西欧のマスコミには現れていない興味深い隠れたテーマがある。ソシャリスト・ワーカーのサイモン・アッサフによれば、こうだ。

「多くのヨーロッパ、アメリカ、そしてアジアの海運会社、とりわけスイスのAchairパートナーズとイタリアのプログレッソが、1990年代初期にソマリアの政治家や軍指導者達と投棄協定に署名した。これはつまり、彼等は沿岸を毒物の廃棄場として使えるというものだ。ソマリアが内戦へと落ち込むにつれ、この慣行が広まった。国連環境プログラムのニック・ナトールは、「ヨーロッパの企業は、これが廃棄物を処理するのに、極めて安価であることに気がついたのです」と言う。

2005年のクリスマスに、アジアの津波がアフリカ東海岸を襲った際、大スキャンダルが明らかになった。巨大な波がそうしたゴミをソマリア沖の海底から取り除いた後、何トンもの放射性廃棄物と有害な化学物質が、海岸に流れ寄せた。何万人ものソマリア人が、このカクテルに接触した後で病気になった。彼等は国連に苦情を申し立て、国連は調査を始めた。

「村人たちからの、口からの出血、腹部の出血、異常な皮膚疾患や呼吸困難等いった多様な健康障害の報告がある」と国連は言っている。

およそ300人の人々が、有害な化学物質のせいで死亡したと信じられている。

2006年に、ソマリアの漁師達は、外国の漁業船団が、ソマリア国家の崩壊を、ソマリアの魚種資源を略奪するのに利用していると、国連に苦情を申し立てた。こうした外国船団は、往々にして、ソマリア人民兵を雇って、地元の漁師を恫喝していた。再三の要求にもかかわらず、国連は対応することを拒んだ。一方、戦略的に重要なアデン湾をパトロールする世界の大国の戦艦も、有毒化学物質を沖で投棄する船を沈没させたり、だ捕したりしてはくれなかった。

そこで、海域を汚染され、生計手段が脅かされて怒ったソマリア人は、自ら解決をすることにした。漁師たちは武装して、非公式な沿岸警備隊として活動しはじめた。」(ソシャリスト・ワーカー紙)

ソマリアでの海賊の起源は、生まれつき犯罪的な行動をする傾向がある恐ろしい黒人という、マスコミが維持したがっているステレオタイプの話とは全く違っている。実際、海賊は、それが生み出す被害にもかかわらず、開発途上国を、依然として有毒廃棄物のごみ廃棄場として使うという、アメリカとEUが運用している制度の犠牲者だったのだ。

【引用ここまで】

日米の政府、メディアが大騒ぎしたときは、「鵜呑みにするな、慎重になれ」と言う合図です。

posted by フジワラトシカズ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界平和

2008年11月28日

戦争による死は、「無駄ではなかった、意味があった」のか

きくちゆみさんのブログ
「ある村長の勇気ある発言」で、下記の発言を知りました。

人の悲しみや怒りなどを思って、思考停止したり、表現をためらう場合があります。ボクの場合、その原因は怖れや不安です。
この文章を読んで、自分の想いを曖昧なままにせず、きちんと向かい合うとことの大切さを知りました。
是非読んでみてください。


中川村村長 曽我逸郎

 長野県戦没者遺族大会と長野県戦没者追悼式に出席した。いろいろ考えさせられることがあった。
 最も気になったのは、たくさんの来賓の方々が挨拶をされ、追悼の言葉を述べられたが、どの言葉も、その場を耳障りよく流れていくことに気をつかうばかりで、真剣に突き詰めて考えられたものではなかったことだ。
 「戦争で亡くなった方々の尊い犠牲があって、現在日本の平和と繁栄があることを、私たちは一瞬たりとも忘
れてはならない。」
 登壇したおそらくすべての人がこのようにおっしゃった。様々な戦没者追悼式で必ずといっていいほど言われる言葉だ。しかし、本当にそうだろうか。戦争の犠牲がなければ、平和と繁栄は得られなかったのか。私にはそうは思えない。もし戦争がなくて、平和のまま、犠牲になった兵士や市民が元気に活躍し、それぞれの夢や計画に邁進しておられたら、今の世の中は、もっともっとよいものになっていたのではないのか。戦死した皆さんは、戦争で犠牲となることを強いられることによってではなく、農業や得意とする技術やみずからの構想を実現することによって、日本や社会に貢献することを望んでおられた筈だ。私たちは、かけがえのない人たちを失ったのだ。破壊と殺戮が、どうして平和と繁栄に貢献するのだろうか。
 戦争による死を、「無駄ではなかった、意味があった」と信じたい遺族の方々の感情はよく分かる。しかし、「平和と繁栄のためには犠牲が必要だった」という考えは、危険な芽を孕んでいる。「今後も平和と繁栄のためには時として犠牲が必要となる。」こういう考えを誘い入れかねない。勿論、演壇に立たれた方々がこんなことを主張された訳ではない。しかし、深く考えていないために、突き詰められればこういう考えを容認することになる。
 「世界の恒久平和実現に向けて一層の努力を傾けることを、戦争の犠牲になった皆様の前でお誓い申し上げます。」
 壇上からの言葉の多くは、こういう形で締めくくられた。それと同時に、多くの方が、「今も繰り広げられるさまざまな地域紛争に心が痛む」とおっしゃった。なのに、なぜ、「テロとの戦争」に加担していることは不問に付すのか。誤爆その他で幼い子供を含む多くの一般市民が犠牲になっているにもかかわらず…。それを私たちは私たちの税烽ノよって支援しているのに、なぜ知らないふりをするのか。戦争ができるように憲法を変えようとする動きに、なぜ何も言わないのか。
 「テロとの戦争」と誰かが名づければそれでいいのか。「自由のため」の戦争ならいいのか。「平和のため」の戦争ならいいのか。「繁栄のため」の戦争ならいいのか。「国益のため」の戦争ならいいのか。もしそういう条件付きでの「恒久平和」の希求なら、そのように言うべきだ。しかし、そんなものは恒久平和とは言えない。
 だから、思考を停止して、その場その場の空気の中で耳障りのいい言葉を流すだけになる。本心では戦争を否定する覚悟はない。
 愚かな政治が始めた愚かな戦争の愚かな作戦に引きずり込まれて、餓え、あるいは熱帯の熱病にうなされ、あるいは極寒の地に凍えて、家族を思い故郷を思いながら、夢を奪われて亡くなっていった方々の無念を真摯に思い致せば、耳障りのよい場当たり的な言葉で済ますことはできない筈だ。真剣に覚悟を決めて絶対的に戦争を拒絶することこそが、戦争の犠牲になった方々の心に適うことだと信ずる。


全文はこちらでご覧になれます。
「長野県戦没者遺族大会・戦没者追悼式、靖国神社」
posted by フジワラトシカズ at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界平和

2008年10月07日

9.11真相究明運動が2008年ノーベル平和賞にノミネート!

世界の急激な変化を実感しますね。

「9月11日の攻撃が、私たちが言われているような、イスラム教徒のテロリストたちによるものでなく、アフガニスタンとイラクに対する戦争の口実のために、アメリカの”戦争エリート”によって遂行されたという強力な証拠を提示」したデヴィッド・レイ・グリフィン博士が、今年のノーベル平和省にノミネートされたそうです。

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9・11真相究明ノルウェー:9・11真相究明運動が2008年ノーベル平和賞にノミネート

2008年10月4日

デヴィッド・レイ・グリフィンと9・11真相究明運動(9/11Truth Movement)を、2008年ノーベル平和賞にノミネートする理由


これは10人の教授、および現職および元国会議員たちによって支持されています。

ブッシュ大統領が対テロ戦争と呼んだ21世紀の戦争は、2001年9月11日のニューヨークとワシントンでの悲劇的事件によって正当化されています。この事件が、どこにでもいるがどこかわからない敵に対する先制攻撃を正当化することになりました。2001年からテロリズムは西欧社会への最大の脅威になり、この脅威のもっとも象徴的な証拠が、9・11事件だと言われています。

しかし近年、9・11真相究明運動とその中でも際立った学者のデヴィッド・レイ・グリフィンは、9月11日の攻撃が、私たちが言われているような、イスラム教徒のテロリストたちによるものでなく、アフガニスタンとイラクに対する戦争の口実のために、アメリカの”戦争エリート”によって遂行されたという強力な証拠を提示しました。

デヴィッド・レイ・グリフィンと9・11真相究明運動は、この”戦争エリート”が冷戦後の新しい敵をつくるため、そしてかれらの経済的、政治的利権に沿った戦争を起こすためにこの攻撃を行ったことを示す説得力ある証拠を提示しています。

私たちは、21世紀の平和へのもっとも重要な貢献が、これらのエリート達の政治的ゲームの真相究明であり、その侵略戦争への欺瞞的な理由の排除だと信じています。これをデヴィッド・レイ・グリフィンと9・11真相究明運動は素晴らしいやり方で行ってきました。

もし、9月11日の攻撃が中東の戦争を正当化するためのアメリカの”見せかけの作戦”であったとしたら、その事実を明らかにすることはノーベル平和賞に値するものです。したがって私たちは、デヴィッド・レイ・グリフィンと9・11真相究明運動を共に2008年ノーベル平和賞にノミネートします。

[m:77]全文はこちら[m:151]
『玄のリモ農園ダイアリー』より
「ノーベル平和賞」
http://moritagen.blogspot.com/2008/10/blog-post_07.html

[m:219]デヴィッド・レイ・グリフィン博士は11.3の第2回「911真相究明国際会議」のため来日します。
詳細はこちら
http://2nd911.globalpeace.jp/
posted by フジワラトシカズ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界平和

2008年09月29日

国連を乗っ取る反米諸国

 経済の破綻により、米英の横暴で暴力的な支配力が低下するなか、いままで散々な目に遭っていた中南米やアラブ諸国、そしてロシアと中国などの「反米諸国」が手を結んで、世界の流れを変えよとしている、という内容の記事です。


「国連が反米諸国に乗っ取られ、国連を使って国際問題をでっち上げていた英米の支配力が低下することは、国連が世界の諸問題を本当に解決できる機関に変身できる可能性を秘めている。」

この文章の最後のことばに期待します。


国連を乗っ取る反米諸国

2008年9月28日  田中 宇

 9月16日、ニューヨークのウォール街で大手金融機関が連続破綻し、経済に関するアメリカ中心体制の崩壊が始まった日、ウォール街から6キロほど離れた国連本部では、政治に関するアメリカ中心体制の崩壊を宣言するかのような、国連総会の新議長の演説が行われた。

 この日、国連では年次総会が開始され、ニカラグアのミゲル・デスコト・ブロックマン元外相(Miguel d'Escoto Brockmann)が、総会議長に選任された。ブロックマンは就任演説で「安保理事会の中には、戦争中毒の国(アメリカ)がおり、世界の平和と安全を脅かしている」「(米軍のイラク)侵攻によって120万人もの人々が殺された」と、アメリカを酷評した。(関連記事)

 国連総会の議長任期は1年間で、ブロックマンはこの1年間で国連改革を進め、「拒否権」など絶大な権力を持っている安保理の常任理事国(米英仏露中)の権限を減少させ、代わりに全加盟国が出席する総会の権限を拡大することで、国連を「民主化」したいと言っている。彼はまた、発展途上国に対して借金取り的な財政緊縮政策を強要してきた、米欧が支配する組織であるIMF(トップは必ず西欧人)と世界銀行(トップは必ず米国人)を改革したいとも表明した。(関連記事)

 1960年代に非同盟諸国の運動が世界的に活発化して以来、国連では、発展途上国が結束し、欧米(米英)による世界支配や、米ソ2極的な覇権体制を非難する動きが続いてきたが、ほとんどの動きは、途上国側が分裂させられて沈静化して終わっている。今さら、たまたま国連総会の議長に中南米の反米論者が就任して1年ほど騒いだところで、具体的な変革など何も起きるはずがないと考えるのが常識かもしれない。

 しかし私が見るところ、ブロックマンの国連総会議長への就任の裏には、世界的な策略がある。ベネズエラ、ブラジル、イラン、ロシア、そしておそらく中国までが絡んだBRIC+反米諸国という「非米同盟」による、米英中心の世界体制を変えようとする多極主義的な策略である。今この策略が加速しているのは、金融危機による米国の経済覇権崩壊との相乗効果を狙ったものだろう。



続きはこちら
posted by フジワラトシカズ at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界平和

2008年09月11日

着々と闇の中すすむ日本の死刑執行


保坂展人のどこどこ日記から
「保岡法務大臣の死刑執行に抗議する 」
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/607807a24eb3fb1e6d523f8b5b8b5cf8

 来年から始まる「裁判員制度」では、「国民からくじで選ばれる裁判員が短期間に判断を迫られる」ことになる。そして、選ばれた人には、生涯その事柄を人に話してはいけない守秘義務が課される。

 死刑が、犯罪の抑止力にならないことはすでに世界共通の認識である。

 「国連総会で死刑執行停止決議が昨年12月採択された」ということ。

 日本の司法制度の不備による「冤罪」の可能性。

あらためて、「死刑」について考え直す時が来ていると思います。

ベルトコンベアーのように死刑執行をはじめた鳩山前大臣と保岡法務大臣。
「死刑大国」の道を歩む日本。

この流れは、まず止めるべきです。
posted by フジワラトシカズ at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年09月09日

作られる敵対 イスラエルvs.アラブもか!?

イスラエルの戦争と和平
2008年9月9日   田中 宇
http://tanakanews.com/080909israel.htm

[抜粋]
 イスラエルは1948年、イギリスの植民地(国際連盟の信託統治領)だったパレスチナの西側4分の1の地域で建国した。中東全域を支配していた英は、中東の各勢力をできるだけ分割し、相互に敵対状態を永続させることで、外部から支配している英が漁夫の利を得て仲裁役に立てる均衡戦略(バランス・オブ・パワー)を採っていた。

 その一環として、英はユダヤ人国家の領土が大きくなりすぎないよう、パレスチナの東半分(ヨルダン川東岸)でアラブ人の国王(ハーシム家)に建国を許し、トランスヨルダン(今のヨルダン)を作った。さらに、トランスヨルダンとイスラエルの間には、1947年の国連決議などによって、パレスチナ人の国家建設が予約された。欧州の国際政治の舞台裏で長く活躍し、国家運営の技能に長けたユダヤ人に広大なパレスチナ全土を与えたら、英を中東から追い出すほど強いイスラエル国家が建設されると恐れ、英はイスラエルの領土をできるだけ小さくしたのだろう。

 加えて、英はアラブ側にイスラエル敵視の感情を植え付けた。英は、第二次大戦でアラブ諸国がドイツの味方をしないよう、アラブが夢見る「民族統合」のための組織「アラブ連盟」(アラブ諸国の連合体)を1945年に作ってやったが、その後約60年のアラブ連盟の歴史を見ると、米英に都合の良いように分裂され続けている。アラブ連盟は、英の傀儡組織と疑われるが、同時に同連盟は、イスラエルを強く敵視する組織であり続けてきた。

 1948年のイスラエル建国時に、イスラエルに宣戦布告したのはアラブ連盟だったし、1979年にイスラエルと和解したエジプトは、連盟から除名された(10年後に復帰した)。英(米の軍産英複合体)は、アラブ連盟を使って、アラブとイスラエルとの永続的対立を維持してきたといえる。覇権国によって作られた敵対構造の中で、イスラエルがアラブに和解を提案しても、拒絶されるだけだった。

posted by フジワラトシカズ at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年09月08日

『裁判員は「壁の落書き」を見る目があれば可』(最高裁)

保坂展人のどこどこ日記
裁判員は「壁の落書き」を見る目があれば可』(最高裁) から


裁判員制度を問う / 2008年09月08日

裁判員制度をめぐる議論を臨時国会でしっかりやろうという私たちの姿勢はよそに、福田総理は政権を投げ出してしまい、2年続けて「自民党総裁選騒ぎ」に突入して、解散・総選挙へと向かっている。「一日も早い解散・総選挙を」と訴えてきたが、国会での議論もしっかり行なうべきではないか。しかし、国会で議論をすればするほど、与党が形勢不利になるという判断をするのであれば、総選挙で決着するしかない。その際に、裁判員制度も重要なテーマであり、各党がそのスタンスをはっきりさせて有権者の審判を仰ぐべきだと思う。先日、社民党で行った勉強会の席で、次のような「最高裁ホームページ」の記事が話題になった。

法律を知らなくても判断することはできるのですか。

裁判員は,事実があったかなかったかを判断します。裁判員の仕事に必要な『法律に関する知識』や『刑事裁判の手続』については,裁判官が丁寧にご説明します。

皆さんも日常生活の中で,何らかの根拠から事実があったかどうかを判断することがあると思います。 例えば,壁にらくがきを見つけたお母さんが,このいたずらは兄と弟のどちらがやったのかと考える場合,「こんなに高いところには弟は背が届かないな。」とか,「このらくがきの字は弟の字だな。」とか,らくがきを見てどちらがやったのかを考えると思います。

刑事裁判でも証言を聞いたり,書類を読んだりしながら,事実があったかなかったかの判断をしていくので,日常の生活で行っていることと同じことをしていると言えます。

最高裁ホームページ


壁の落書きだって、弟が踏み台に乗ることもあるだろうし、文字ではなくて絵でどちらかまるで判らない場合もある。いちいち、持ち出してくる例が卑近で、国民を小馬鹿にしたような「わざとらしさ」が目につく。最高裁が行っている裁判員裁判の模擬裁判では「死刑求刑事件」の模擬裁判を行わない理由とシンクロしてくる。厳しく陰惨な事件の裁判を、裁判員裁判で行うというのに、「死刑問題」が政治的に微妙な時期だからと言って避けるのは納得できない。皆さんからの意見を呼びかけたら、Uさんからメールをいただいた。

裁判員制度についてのUさんからの手紙

裁判員制度について、先生のブログ拝見しました。私もまったく同感です。質問主意書を出したりして、是非法務省の姿勢を追及してください。貴党の御活躍を期待しております。 もし、廃止がまにあわなかったら、全員辞退する運動をしてほしいと思います。

裁判員制度について、とても重大なことなのに、なぜマスコミは法務省の下請けのように、裁判員制度がはじまるという視点でキャンペーンの一翼を担うような報道しかしないのでしょうか。なぜ、裁判員制度自体の当否をしっかり検証しないのでしょうか。本当に実施されたら、まさに「第2の後期高齢者制度」のように混乱すると思います。

以下、条文と、法務省ならびに裁判所のHPを読んで、私が感じている、制度の疑問点(批判)です。

・そもそも「司法への国民参加」というが、なぜその名の下に、事実上参加を強制されなくてはいけないでしょうか。「裁判官以外の人間が、ひとを裁く」ことに対して、それが自分の思想信条に反する場合はどうなのでしょうか。私は自分の良心に従いたいと思います。ひとを裁くことはそんな簡単なことなのでしょうか。

私は、それはある意味、神の領域に近いような重い責任だと思っています。それは裁判の歴史を考えてみれば自明のことです。裁判官に対する俸給や身分保障、社会的地位はその裏返しだと思うのですが。極端に言ってしまえば、裁判員制度は裁判官の責任放棄であるとも感じています。

・裁判所のHPのQ&Aの内容も大変不誠実だと思います。

裁判での判断は、壁の落書きと同じ程度の軽いものですか。なぜ評議で裁判官と同等の権限である裁判員は、判決書に署名しないのか、合理的な理由を教えてください。なぜ、HPで揚げるやむをえない事情辞退事由の例に、あえて精神的不利益を例示しないのですか。

・国民は、すでに国民審査という形で司法に参加しています。 これは本来、国民の司法に対する相当の関与であるはずです。国が広報をするのであれば、国民審査を形骸化させないように、啓発して充実させるほうが、よほど大切だと思います。

・裁判員法は主体的な刑事裁判への国民参加ということをいいますが、なぜ主体的
に刑事裁判に無理やり参加させらればいけないのでしょうか。

法は、制度の見直し規定を入れているが、裁判員制度を存続させ、充実させる方向でしか、書かれていません。

・過去の裁判例の積み重ねに関する知識がない、素人が事実認定と量刑の判断に加
わることへの違和感、量刑がばらつくことの危惧があります。事実上、裁判員による裁判すなわち1審の意味がなくなり、2審で量刑のばらつきを是正することになるのではないでしょうか。

・事実認定、責任能力が問題になった場合、たとえば弁護側と検察側とで対立する
ような精神鑑定や法医学鑑定書の内容を裁判員は「市民常識」で、読み解けるのでしょうか。

・憲法違反ではないか(18条、19条)。国民を強制的に「動員」することへのある
種の違和感があります。それから、なぜ、辞退するのに理由を言わなければいけないのか。思想信条の自由は、思想を無理やり表明させられないという、沈黙の自由もあるのではないでしょうか。仮に思想信条の自由を理由に辞退できるとして、なぜ裁判所に対してその思想信条を表明しなければいけないのでしょうか。

さらに憲法でいえば、裁判にとってもっとも大切な裁判官の独立、すなわち裁判官が「独立」してその職権をおこなうことに抵触するのではないでしょうか。

・テレビで報道された模擬裁判では、あえて、傷害事件のような、明白なわかりや
すい例だけ意図的に扱っていますが、実際、死刑か無期か、死刑か無罪かという選択を迫られるような事例のときに、その判断を下すような重い選択、その精神的心理的負担をなぜ素人の市民が10000円(日当)でしなくてはならないのでしょうか。

・残虐な証拠写真や書類に目を通したり、究極の判断を迫られたことに対するPTSD
などの問題は、予算900万円で電話相談してすむような軽いものなのでしょうか。あまりにも人の心を安易に考えすぎていると思います。

以上が今自分で考えている疑問です。事実に誤りがあったら申し訳ありません。一言で言うと、ひとを裁くということ、人の自由や生命を剥奪しなければならな
いことに関する重みの認識がまったく考えられていないと思います。

「国民の司法参加」のひとことで片付く問題なのでしょうか。 国民の司法参加の一言の薄弱な根拠で本当にいいのでしょうか。そもそも国民の司法参加がなぜ重大な刑事裁判への参加なのでしょうか。私は、たとえ刑罰を科されても参加しないでいようと思っています。

法律はできてしまいましたから、実施までに廃止が間に合わなければ、通知を受けたひと全員が、無視して、参加しなければいいと思います。10万円の過料(行政罰)を払えば参加しなくてもよいということでしょうか。

此の現実を無視して、唯(ただ)徒(いたずら)に聖戦の美名に隠れて、国民的
犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰 く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありました。ならば、現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない。

これは、斎藤隆夫の帝国議会での発言です。「司法への国民参加」の美名の下に、・・・ろくな見通しもないまま始まろうとしているこの制度は、国家の大計を誤り、今までに積み上げてきた司法に対する信頼を失わせてしまうのではないでしょうか。知的に不誠実であり、説明不足もはなはだしいと思います。

[Uさんのメール終了]

今後もたくさんの方から御意見をいただきたい。総選挙前の「論点」にしっかりすえていこうと思う。

posted by フジワラトシカズ at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年09月06日

ケータイと脳腫瘍

「ケータイで脳腫瘍」論争 ガン研究所が警告、全米No1トーク番組「ラリーキングライブ」が2回特集
http://www.mynewsjapan.com/reports/902

「因果関係がある」という研究結果と「ない」という研究結果。
水俣病の時にも、政府・企業と近しい学者が同じ事をしていましたね。
今も「遺伝子組み換え」やら「放射能被害」に関しても御用学者≠ニいわれる人たちがセッセセッセと反対の発表をしています。

世の中の構図が、だいたい分かってきましたよね。

あ〜、子どもに特に影響がありそうですね...
posted by フジワラトシカズ at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記